この記事を書かれている冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)さん
という方は、アメリカ在住の作家で、
普段は政治的な記事を書くことが多い方です。
☆冷泉 彰彦(れいぜい あきひこ)
作家(米国ニュージャージー州在住)
1959年東京生まれ。東京大学文学部、
コロンビア大学大学院(修士)卒。
著書に『911 セプテンバーイレブンス』『メジャーリーグの愛され方』。訳書に『チャター』がある。
最新刊『「関係の空気」「場の空気」』(講談社現代新書)
マイケルの功績を冷静かつ論理的に讃えており、
マイケルのファンであることを、
改めて誇りに思わせてくれる内容なので、ご紹介したいと思います。
私が、マイケルマイケル

と、
しつこく(!?)ブログに書いてきたのも、
少しでも理解していただけたら、とても嬉しいです。
※長文です↓
『マイケル・ジャクソン、伝説の始まり』7月4日
死去から1週間が経過しましたが、
アメリカの各TVでは依然としてマイケル・ジャクソンの話題が
ヘッドラインを独占しています。
CNNでは人気トークショーの「ラリー・キング・ライブ」が
ほとんど連日マイケルの特集、NBCをはじめとする
三大ネットワークも、朝7時のニュースショー、
夕6時半のニュースなどで今日もトップ扱いです。
内容的には、遺産相続や遺児の親権の行方などの
利害の絡んだ愛憎劇がほとんどですが、こうした話題は
実はマイケル自身の問題ではなくプレーヤーは遺族であるわけで、
マイケル本人に関する報道ということでは、
日一日と扱いは「神聖化」とでもいうべき方向になってきていると思います。
「神聖化」というのは、
その生と死が伝説になりつつあるということです。
天才といわれた多くのアーティストがそうであったように、
死が一つの伝説の始まりとなる、
マイケル・ジャクソンの50歳の死はそのように位置づけられ
始めています。では、どのように伝説が始まってゆくのでしょう。
具体的には、楽曲の再評価とそしてファン層の若い世代への
拡大という動きが、それも大きな規模で起きてゆく
ということが考えられます。
マイケルという人は、
世間的には90年代には余りにもビッグな成功者として、
少しずつ若い世代からは飽きられてゆき、
2003年以降の小児虐待疑惑と裁判というスキャンダルを
通じて、コアのファン以外からの関心は一旦薄れていました。
具体的には、80年代というマイケルの最盛期を知らない
30代以下の世代には、どちらかといえば
「ピーターパンになりたいという変な人」であるとか
「黒人なのに白人のマネをしている」
という悪印象が定着してしまっていたのです。
訃報の直後には、まだそうした傾向は残っていて
「毀誉褒貶の中にあった大スターの死」
という紹介がされていました。
特に各局の30代以下のキャスターは冷淡な態度だったのです。
ですが、そうした「マイナスイメージ」は
本当に1日ごとに消えていっています。
アメリカには「死者にむち打つことはしない」
という文化があり、
例えばニクソン元大統領の死去の際などにも、
生前あれほど激しく罵った各メディアも、
一斉に「再評価」報道を行っていましたし、
実際に社会のムードも「赦しと功績の評価」
が主になっていっています。
今回のマイケルの死も、そうした「死によるイメージの浄化」
という現象から説明することも可能でしょう。
ですが、今回はそんなレベルを超えている、
そんな感じもするのです。伝説が始まりつつあるというのは
そういう意味です。
では、具体的に何がマイケル・ジャクソンを
伝説に押し上げていっているのでしょうか?
まず一つは時代背景です。
2001年の911当日にニューヨークに滞在していた
マイケルは、追悼の曲をリリースしようとしたり、
何らかの形で「時代の中にあった復讐心、恐怖心」
に対抗しようとしましたが果たせませんでた。
そのまま、2003年に起きた小児虐待疑惑に巻き込まれて
社会的影響力を失っています。
この時代こそ、ブッシュの「反テロ戦争」
そして草の根保守の時代でした。
マイケルのような「戦争より平和」
「アメリカ一国より世界全体」
「剛直さより繊細さ」といった価値観を持ったキャラクターは、
残念ながら時代に無視されたといって良いと思います。
逆に今はオバマの時代です。
オバマ大統領自身は、マイケルの訃報には距離を置いていました。
それは訃報の時点では、大統領のコアとなる支持層、
つまり30代以下の若者にはマイケルは
「醜悪な過去の偶像」でしかなかったという計算も
あるでしょうし、大統領自身が、
黒人のヒーローとしてはマイケルとは異なった道を歩んでいる
という意識を持っていたということもあると思います。
ですが、
マイケルが死ぬまでこだわっていた
「アメリカ一国ではなく、世界全体のために」という価値観は、大統領の支持者層のカルチャーとは
重なってきます。
大統領自身も後にジャクソン家に対して
丁重な弔辞を発するとともに、
「自分のiPodにマイケルの曲を入れている」
とまで発言し、マイケルの影響力を認める方向に転換しています。
今週の木曜日の7月2日、マイケルの死から丁度
1週間経った時点で6月度のアメリカの失業率が
発表になりました。
9.5%という数字は、さすがに厳しいもので
「26年ぶりの水準」という言い方もされています。
その26年前といえば1983年、
つまりマイケル・ジャクソンがアルバム『スリラー』を
ヒットさせて、トップスターの地位に就いた
その年に他なりません。
勿論、1980年前後の不況というのは、
第二次石油ショックによる原油高と、
高金利によるインフレとドル高という要因から起きたもので、
現在の状況とは異なります。
ですが、厳しい失業率の中で、
人々がマイケルの天才的な歌とダンスに魅せられていった当時の
世相と、現在とはやはりどこかで重なるのを感じます。
もう一つは、親子あるいは家族といった問題における
マイケルの位置です。
マイケルの「奇行」が問題となっていった90年代、
そして一時期のアメリカが宗教保守のカルチャーに
引っぱられていた2000年代には、
「永遠の少年」を自称したマイケルの存在は、
メインストリームの世論からは疎んじられていました。
サッカーママであるとか、セキュリティーママといった
流行語に乗せて、伝統的な核家族イデオロギーが
強まっていったこの時代には、
マイケル的なカルチャーは敬遠されていたのです。
ですが、この間にもアメリカの伝統的な核家族イデオロギーは
実は崩壊を続けていたのです。
仲の良い両親が子供を認め守り続ける、
その核家族の正に核となる部分が緩んでしまったのです。
そしてアメリカの核家族も他の文化圏のように、
子供の将来の生存を動物的に心配する余り
子供の人格に踏み込んでみたり、
夫婦が家庭という共同体の維持に集中しすぎて
ロマンチックラブのイデオロギーを信じられなくなったり
しています。
不況のたびに受験戦争が過熱してみたり、
親の子離れが遅くなったり、虐待の連鎖が起こったり、
初婚年齢がじわじわ上昇したり、
というのもこの現象の表れだと思います。
そんな中で、マイケル・ジャクソンの生き方というのは、
父親からの虐待に耐え、その父を憎みつつも全否定はせず、
何よりも自分の心の中の傷と向かい合う中で、
自分だけは虐待の連鎖には陥らない、
そのような柔軟さと強靱さを維持したものだと言えるでしょう。核家族イデオロギーが無条件で信じられた時期には、
マイケルの生き方は奇行だったでしょう。
ですが、
現代では多くの若者の間には、
両親から100%の庇護を受けていない、
何らかの過剰な介入か過度の突き放しを受けている、
そんな感覚が出てきています。そんな現代には、マイケルのメッセージは静かに、
しかし深い形で浸透してゆくのではないかと思います。 例えば、アルバム『ヒストリー』に収められている
"You Are Not Alone" とか"Childhood"
というようなバラードは1995年に発表された時とは
違う形で、違う世代に受け入れられていくのではないでしょうか。
そうなのです。
何といってもマイケル・ジャクソンの魅力は
その楽曲にあるのです。
あの圧倒的な才能の爆発、歌詞とメロディーとリズムの
高いレベルでの融合・・・
今週の Newsweek" 誌で、
デビッド・ゲイツという作家が書いていましたが、
「シナトラ、プレスリー、ビートルズの系譜に連なる存在」
という言い方は決して誇張ではないと思います。
最近のアメリカのポップミュージック界は、
『アメリカン・アイドル』という視聴者参加の
オーディション番組出身者が、
グラミーの新人賞を取ることが多くなったように、
「売れ線狙い」のスケールの小さな才能ばかりが目立ちます。
圧倒的な才能を、天才的なプロジューサーが見いだして、
時代を変えるような文化現象を作ってゆく、
そうしたダイナミックなドラマは絶えて久しいのです。
そうした状況の中で、
マイケル・ジャクソンの輝きを失わない楽曲の数々は、
改めて多くの人々、
それも今の若い世代にも浸透してゆくでしょう。
シナトラとプレスリーの場合、
その死は一つの時代の終わりでした。
本人が不在となることで、その音楽も静かに
メインステージから去っていったというのは否定できません。
ですが、マイケル・ジャクソンの場合は、
もしかしたらその死が伝説の始まりになるのではないでしょうか。
その存在の大きさは、もしかしたらクラシックの世界における
ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトのように、
永遠の輝きを持つことになるかもしれません。
とりあえず、火曜日の葬儀が注目されます。
以上です。長かったですね。お疲れ様でした。
まるで、コアなマイケル・ジャクソンファンのように、
広い視野で見てくださっていて、とてもうれしいです。